恥の多い生涯を送って来ました。

生き辛い私が日々感じることを残していきたいと思います。

自己肯定感の低下

旅行帰りから自己肯定感の低下を感じている。

旅の間は楽しかったのだが、欲望のままに暴飲暴食し、欲望のままに寝坊した。普段日課としている懸垂や坐禅、ジム通いも中断。生業の動画編集も中断。さらに日々の体調を客観視するために書いている日記も中断したことから、今になって体調不良に気付いているわけだ。

穏やかな暮らしを送るためには、やはりやるべき事はやった方が良い。

やるべき事をやらずに、欲望に流されると自己肯定感が低下することが分かった。

また、罪悪感なくリラックスした旅行を楽しむには、その対となる忙しない日常が必要だということも分かった。

だから私はまた働く。6/1からまた一生懸命働く。

無職という境遇が自己肯定感の低下につながっていることにも今気づいた。だから私はまた働く。一生懸命に働く。

松島遠征

仙石線石巻行きの列車に揺られている時から予感はしていたのだが、その通り松島海岸駅でたくさんの人が下車。そして松島のメインストリートを練り歩く。
私も途中までは群衆と足並みを揃えたのだが、どうにもこれが性に合わず、独り脇道にそれて内陸へ向かう。
そこには期待通り、静寂があった。

ウグイスの鳴き声を久しぶりに聞いた私は思わず駐車場の入り口の石垣に腰を下ろした。葉擦れの音が心地良い。これだった。これが私の求める時間だ。

私はまたしてもマジョリティに染まることができなかった。然し、もうそれで良かった。威勢の良い客引きの声、群れる集団の馬鹿騒ぎが聞きたければ繁華街に行けば良い。私は喧騒を逃れるため、一人になるために旅に出てきたのだ。

仙台遠征

このまま入職日の6/1まで漫然と時間を垂れ流すところだった。
新生活も板についてきて繰り返される日常に退屈を感じてきた為、旅に出る。
行先は仙台。ナイターの野球観戦以外はノープラン。
引越しで貯金がすり減り、また私は受け身になっていた。そして時間が有限である事を忘れていた。躊躇している間にも時が過ぎていってしまうことを忘れていた。然し、今日からまた気持ちを切り替える。私が私の人生の主導権を握る。将来は本当に訪れるのか分からないが、今生きていることは確かな事実だ。だから私は今を生きる。5月末までの間、全ての貯金を使い果たすつもりで思い出作っていく。

仙台駅では下りずに仙石線に乗り換え。新幹線内で考えを巡らせた結果、まずは長旅の疲れを癒すためにスーパー銭湯を目指すことになった。
極楽湯多賀城店で3セットこなし、昼食は牛たん炭焼き利休。
牛たんに漬物や味噌を添えるのが仙台スタイルなのだようか。食べ方は分からなかったが各々をおかずに麦とろご飯を夢中で頬張った。美味かった。
そして海。埼玉県民にとって海は非日常であり、癒しである。

ここまで仙台らしいことは牛たんを食べたぐらい。女が一緒であれば発狂するに違いないデートコースだ。

 

僕が僕であるために

拝啓、恵子ちゃん。

目がかゆいです。それに寒くもないのに、というよりむしろ暑いのにくしゃみが止まりません。きっとこのコンクリートで覆われた大地で帰る場所を失った花粉が延々と空気中をさまよっているのだと思われ。

そう、僕は海も無い、山も無い無味無臭の我が故郷、彩の国に帰ってきました。4年に及ぶ港町での移住生活の前、確かに僕は此処に住んでいたんだけど、港町とは異なる環境に戸惑う毎日です。綺麗に区画整理された土地に行儀よく人工物が整列する街並み。その背景には目印になる山が無いので容易に方向感覚を失います。そしてなにより外を出歩く人の数の多さに驚きます。調べてみたら61km²の土地に57万人が住んでいるようです。それに対して港町は186km²の土地に19万人だから、それは息苦しいわけです。

とはいえそれだけ人がいれば自ずとスーパーやコンビニ、飲食店の数も多くなります。利便性が高いのは間違いありません。今は時間が有り余っているから毎日自炊ができているけど、これから会社勤めが始まればその恩恵を享受するでしょう。だから今は辛抱の時です。徐々に新しい環境に適応していきたいと思います。僕は過去を振り返らず、この街で生きてゆくのです。

僕が僕であるために

雨風を凌ぐことさえできたら

昨日、引越しの搬出が完了し、いよいよ私の港町での移住生活も本日限りとなります。

家財道具は最低限の寝具や衣類などを残して、先に我が故郷、彩の国へ向かいました。ですので、もう此処は寝るためだけに帰ってくる簡易宿泊所と化しましたが、私はそこまで不自由を感じていないのでした。それはこれまで自らに口を酸っぱくして言ってきた「ありのままを受け入れること」を多少なりとも体現できるようになってきていることに気づいた瞬間でした。

シャワーを浴びたければフィットネスジムに行けば良いし、食事も飲食店に行けば食べられる。そして食後はそのままデスクワークができる環境を選べば、充実した時間を過ごす事ができる。こうして自らの行動を振り返ってみると、普段は意識しておりませんでしたが、私は自宅の他に多くの居場所を持っていたことに気づきました。

それはたとえ住む場所を変えても継続可能な暮らしです。

以前の私は環境の変化に弱かったのですが、港町での4年間の暮らしの中で、どんな環境に置かれても生きられる術を身につけました。この地で培った確かな自信を胸に、明日彩の国へ帰ります。

今日精一杯やるだけ。

グズグズするな。

早くやるべき事に取りかかれ。

 

いよいよ今日は引越し荷物の搬出の日です。家財道具のほとんどは梱包され、居室内は殺風景となり、生活感がありません。トイレに起きた私はその景色を見て感傷的になり、またベッドに戻ってグズグズするのでした。4年に及ぶ港町での移住生活の楽しい時間を共有した我が家の見るも無惨な姿です。無理もありませんでした。

然し、それは私が最も恐れている受け身の姿勢であることに気づいた時、ベッドから飛び起きていつものルーティンに取り掛かりました。すると身体はこれまで繰り返してきた日常を思い出し始め、自分が必要としているタスクを次々とこなしてゆくのでした。

現在私は青空の下、公園のベンチで食事をとり、清々しい気持ちでおります。そして自らの朝の行いを振り返り、結局どんな環境に置かれたとしても、自分に今できる事、したい事が何なのかを考え、それに集中するだけであるな、としみじみ思うのでした。

港町での移住生活も最終盤に差し掛かっておりますが、あれが無い、これが無い、といった風に無いものねだりをしても始まりません。行動を起こさなければ智慧は得られませんので、私は最後まで歩みを止めません。

死ぬまで精進。それが悟りの境地を目指す者のあるべき姿です。