恥の多い生涯を送って来ました。

生き辛い私が日々感じることを残していきたいと思います。

ケアマネになって2週間

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毎日酒を飲んでいる。酒場での時間は有意義であり、一日の振り返りを日記に書き記す。その内容はアルコールのせいかポジティブであり、精神科医が患者にいくら禁酒を推奨していても、今の私にはアルコールが必要なのである。やめ時は分かっている。

飲酒は調子のバロメーター。酒を飲みたいという欲があるうちはまだ大丈夫。酒のために頑張れる。飲酒は自分に厳しい私が唯一、一日頑張った自分を許す行為。ただ、苦しみを紛らわす酒は駄目だ。季節的にも苦しかったケアマネ研修の時は酒を断ち、カフェインを断ち、長渕剛を断ち、副交感神経を優位にするために意識した。今はまだその域ではない。

今日は休日。しかし、家にいると仕事の事を考えてしまう。延々とキャリアが違う先輩と比べてできない自分に絶望する。どうやら私は初めから仕事を完璧にこなさなくては気が済まないらしい。いくら「初心者は徐々に成長していけば良い」と声に出しても、無意識が勝る。仕事をそつなくこなし、周りから価値ある人間として認められたい無意識が勝ってしまうのだ。

生き辛い者に対して用いられる励ましの常套句、「ありのままの自分でいい」。それはつまり、私は誰かに価値ある人間として認められたいままで良いという事なのか?このままずっと他人の軸で生きていれば良いという事なのだろうか?分からない。ただ、このまま、ありのままコミュ障でいたら仕事が続かないのは確かだ。

私は仕事を続けたい。紆余曲折あって、やっとたどり着いた仕事。そのため、過去に何度も挫折したコミュニケーション能力の改善に再チャレンジする。休日とか関係無い。できる事をやる。課題を残らず片っ端から一つ一つ処理していけば、動悸も下まぶたの痙攣もいつかは無くなるはずなんだ。

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