恥の多い生涯を送って来ました。

生き辛い私が日々感じることを残していきたいと思います。

禅、シンプル生活のすすめ

「正」という字は一度止まると書きます。

今朝は思考の整理がつかないまま漫然と通ってしまっていたフィットネスジムを休み、その代わりに自分が進む道の正しさを確認することに時間を充てることに致しました。

この本を読んで現在の私は遊ぶ事に夢中になり過ぎるあまり、日々の営みが疎かになっていることに気づきました。家事のほとんどを女に任せ、休日のたびにフラッと何処かへ出かけて現実逃避。そしてまた出勤日を迎えるといった退廃的な日々には後ろめたさを感じておりました。子供じゃあるまいし、やはり、やるべき事をやった上で余暇を楽しむのが良いと反省し、早速今晩の夕食作りに取り掛かりました。

久しぶりに台所に立って包丁を握り、白菜とエノキの味噌汁を作りました。後は私よりも早く帰宅する女が調味済みの鮭の西京焼きをフライパンで焼くだけというところまでお膳立てできた事で、私は充実感を覚えていました。

また、本日はフィットネスジム通いを休んだことで女よりも長く借家に居座る事となり、先に出勤する女に「いってらっしゃい、無理すんなよ」と声をかけて見送ることができました。その気遣いの言葉は確かに女を想っての発言でしたが、今振り返ってみると自らにも言い聞かせていたようにも思えました。don't be so hard on yourself.let's take it easy.自分に厳しくし過ぎないで。気楽に行こうよという意味です。前の職場にて、私が同僚を鼓舞するためにしきりに発していたこのフレーズを今、思い出しました。

帰れなかった

沼津駅前で元同僚の理学療法士の先生としこたま飲み散らかした翌朝、目が覚めた場所は日枝神社の裏の閑静な住宅街にある借家ではなく、大手町にあるビジネスホテルの一室でした。客室内からの眺めは確かに港町に相違ありませんが、釈然としません。

そう、私は港町には帰って来ることはできているのですが、どうやら無意識ではそれ以上を求めており、「あの日」に帰る事を密かに望んでいたようです。然し、目が覚めたら自分が宿泊所に居るもんだから脳が混乱したわけです。この出来事により、私にとってもう此処、港町は生活の場ではなく、観光の場に置き換わっている事を痛感しました。

その後客室内で悶々とした自問自答を繰り返した末に過去へは戻れない事を認め、前向きに諦めて埼玉へ帰ることにしました。

私の居場所は、今は埼玉です。8年同棲中の、いわゆる事実婚関係にある女との生活を継続するために此処に引っ越して来ました。その選択には今でも後悔はない事を確認できただけでも今回の港町への帰還には意味がありました。

1ヶ月ぶりの港町

みなさんこんにちは。私は海の無い埼玉に住む伊達かなるです。お世話になります。

私も含め平均的埼玉県民は休日になると海を求めて埼玉を飛び出し、茨城の大洗、千葉の幕張、神奈川の湘南を目指します。それに加えて平日は高賃金を求めて花の都大東京へ出稼ぎに行っているわけですから、県民の身体が埼玉に在るのは寝る時だけです。この事から埼玉は寝るためだけに帰る簡易宿泊所と言えそうです。

私も含め平均的埼玉県民は勤勉です。移動時間も無駄にせず、グリーン車内ではデスクワークをします。ちなみにグリーン車に乗るのは初めてでした。列車内のシートの配置はまるで新幹線なのに走るスピードや車内アナウンスが鈍行列車と同じなので不思議な感覚です。なお、車内はガラガラです。私も今年の春の料金改定の事を知っていたら新幹線を選びました。

一ヶ月ぶりに港町へ帰ってきました。その間、私は埼玉での慣れない生活に悪戦苦闘していましたが、以前よく利用していた三枚橋手前のすき家や図書館は何事も無かったかのように変わらずそこに在ることを確認できました。それは未だに楽しかった港町での暮らしに執着している私にとって駅前で別れた他の観光客達が真っ先に向かった沼津港へ行くよりも価値のある事なのでした。

過去への執着は煩悩の種となりますから穏やかに生きるには本来は避けるべきです。然し、楽しかった過去にすがりたい心理的状況にある自分がいることを客観視して、認めてやることも必要だと思うのです。

梅雨真っ只中の本日はあいにくの天気ではありますが、諦めてはなりません。「びゅうお」に行けば雨に濡れずに海が眺められることを元港町の民である私は熟知しているのでした。

最近の私はキビキビとした首都圏の人々に染まり、いささかストイックだったかもしれません。せっかく港町で培った適当なところで切り上げる「いいにする」というマインドを今の今まで忘れていました。

自分らしい生き方

埼玉での生活は落ち着いた。借家、フィットネスジム、図書館、喫茶店などあらゆる居場所は更新された。もうあの地での暮らし方は忘れつつある。しかし、海への憧れは消えない。

私らしい生き方とは「海と共に生きる」なのかもしれなかった。

やり抜く力

どうすれば困難に直面した時、折れずにやり抜くことができるのか。重要なのは才能ではなく、「絶対に諦めない(ネバーギブアップ)」という態度。失敗しても挫けずに努力を継続すること。それを可能にするのは断固たる強い決意。情熱。

嗚呼、海よ。大いなる母よ。

海無し埼玉から2時間半かけて神奈川の辻堂海水浴場に来ました。

愛する沼津をつんざく波に捨てて始めた埼玉ライフも早いもので1ヶ月が経過。その間、無いものは仕方がないものとして意識的に海と距離を置いてきました。そして海に代わる癒しとしてサウナ、森林浴、散歩などに取り組み、そのどれもがある程度はストレス軽減に役立ちましたが、何かが違いました。なんというか、決定打に欠けるのです。
その答えは辻堂海浜公園を抜けた先で久しぶりに水平線を目視した時、見つかりました。やはり私には海が必要だったのです。ストレスと一口に言っても色々な種類があって、なかには海でしか癒せないストレスもあることを悟りました。休日はこうして童心に帰って夢中で穴を掘ったり、太陽の下、裸になって砂浜に横たわって日光浴をしたりして大人を止めなくてはなりません。これらの行動は端から見れば「きちがい」ですが、あらゆる生命の故郷である海においては許されるのです。

嗚呼、海よ。大いなる母よ。関東平野の真ん中で排気ガスと騒音にまみれて荒んだ我が心を優しく抱いて癒したまえ。

今の生活レベルを維持したい

伊香保温泉旅行に行ってきました。標高700m付近にある人里離れた旅館内は静かで、窓を開けるとウグイスの鳴き声が聞こえてきて癒されました。自然に帰ることで心のゆとりと労働意欲を取り戻した私は客室内でこれまで受け身となっていた仕事への取り組み方を反省しました。現在の私の苦悩となっている新たな仕事は誰にも強制されておらず、いつでも辞められるわけですが、旅に出てきて良い思いをしたことで、改めてこの生活レベルを維持したいと思えました。また、家で鬱々とした余暇を過ごすくらいなら旅に出て、次なる労働への意欲を高める。そしてまた働き、稼いだお金で旅に出るという好循環を維持していきたいとも思えました。

仕事はまだ始まったばかりで、決断するにはまだ早いです。これまでの経験則から職場に慣れるまでには1ヶ月。出勤するのにさほどストレスを感じなくなるのには3ヶ月。自分のスタイルを確立するのには6ヶ月。社会への貢献を実感できるのには1年がかかります。そこに辿り着くまでは修羅の道。だからこそ何故苦しい思いをしてまで現職にしがみつくのかを明確にしなくては続きません。

ですから私はここで宣言致します。私は今まで経験したことのない業務を経験させていただく中で、自己成長するために働きます。その上ありがたく頂戴したお金で美味しい物を飲み食いしたり、旅行したりして楽しい思い出を作るために働きます。