恥の多い生涯を送って来ました。

生き辛い私が日々感じることを残していきたいと思います。

人情民宿

とある海辺の民宿に泊まってきました。

予約の時点では風呂も便所も共同ということで、生粋の坊ちゃん育ちである私は多少躊躇しましたが、それを差し置いても機械のようにマニュアル化されたホスピタリティを提供するホテルでは触れることのできない人情に、私は触れてみたいと思うのでした。おそらくそれは冷凍都市での暮らしの中で欠如しているオキシトシンの分泌を促したい身体の防衛本能だったかもわかりません。

 

日中は海で散々遊び尽くし、日焼けによる独特の倦怠感を覚える身体で向かった宿。出迎えてくださったのは予想に反して若いアルバイトらしきお姉さんでしたが、客室に通される途中でチラッと台所を覗いてみると、こちらは期待通りの、おそらく宿の主である老夫婦が夕飯の支度をしているのが見えました。

そして隣の客室とは僅かふすま一枚で仕切られた場末感ただよう客室も期待通り。食事は部屋食で、時間になると番重を持った小僧が元気に階段を駆け上がってきました。夏休みの間、ここで家業を手伝っているのでしょうか、健気に働く小僧の姿に思わず中年の涙腺は緩みました。

気を取り直し、テーブルに並んだ海鮮料理の数々を前に、まずはコップに注いだ麒麟ラガービールを一気に飲み干しました。すると日々の疲れがゆるゆると解けていくのがよく分かりました。そして家庭的な料理の方もこの雰囲気と実によく合うのです。

改めて食事は五感で楽しむものであるな、などと独りしみじみ考えているうちにも一本目の瓶ビールはあっという間に空いてしまい、恐る恐る一階の居間に忍び寄って行くと、そこには一仕事終えてテレビを見ながらくつろぐ家族の団らんがありました。

その家族に向かって「ごめんください、日本酒をいただきたいのですが」と申し訳なさそうに声をかけると、こちらを振り向いたじいじが席を立ち、「はいはい、お一人様の方かな?」と一度緩んでしまった表情を締め直し、接待してくれるのでした。「はい、そうです。伊達です」と返事をしながらじいじから冷酒を受け取り、また独り、昭和の雰囲気漂うノスタルジックな客室へ意気揚々と戻ってゆくのでした。