恥の多い生涯を送って来ました。

生き辛い私が日々感じることを残していきたいと思います。

入職から2か月が経過した現在地

楽に生きたいなら完璧を求めるな。大事なのは「完了」することだ。

 

最近の私は休日のたびに近所のスーパー銭湯で疲れを癒すことに注力し、次の出勤に備えるという余暇の過ごし方に疑問を抱くようになってきました。本当にこれが正しいのか一度立ち止まって考えられるということは新しい職場も入職してから2ヶ月が経過し、心身ともに多少のゆとりが出てきたという事でしょう。現に仕事中はあくびがよく出るようになりましたし、心を許した同僚にはタメ口が混ざるようになったことからも職場での私がリラックスしている様子が窺えます。

ただ実利主義の会社の方針にはまだ慣れません。いつまで経ってもバッシングが進まないテーブルにチラチラ目をやる案内待ちの客。そのプレッシャーを交わしつつ、カウンターに乗り切らないほど量産された料理を運んだり、新たなオーダーを取りにいったり、と全然回っていないカオスなフロア内。それなのにも関わらず店長は「何でお客様が待ってんのが見えてんのにテーブル片付けねぇんだよ!」と発狂。バイトに怒鳴り散らしてストレスを解消した店長が素早くテーブルを片付け、頭を下げながらまた新規のお客様を入店させるという週末の居酒屋を想起させる慌ただしさが今の職場には在ります。一社員としては人員不足を理由に良いサービスが提供できないことが見込めるため、新規の客を受け入れたくない思惑があります。然し、会社としてはビジネスですから利益を出さなくてなりません。綺麗事を言っている場合ではないのです。飲食店とは違い、現在私が勤めている老人ホームは回転率が低く、顧客満足度を上げたところで客が客を呼ぶような業態ではありませんから、とりあえず他に頼るものが無い高齢者を入居させてしまおうという魂胆は分かります。そして私はその船に乗り、利益の分配を賜ることで生活を維持し、たまの休日には好きな事ができているわけです。だから私は職場環境に不満を抱いておりません。否、実際のところは不満を抱いている自分を客観視して、「いい加減目を覚ませよ、甘えたこと言ってんじゃねーぞ」と自分を説教し、納得させているといった方が正しいでしょうか。

100%満足できる職場、仕事内容などこの世にはございません。大事なのはありのままを受け入れ、その中で自分に何ができるのかを考え、能動的に働くことです。