恥の多い生涯を送って来ました。

生き辛い私が日々感じることを残していきたいと思います。

無いものねだり

今日も元気に坐っておりますが、5/10の引越しの搬出に向けて我が家では着々と荷造りが進んでおり、これまで当たり前のように垂れ流してきた日常はまるで夢のようです。月並みな感想ですが、失って初めて大事だったものに気づいております。

お気に入りのマグカップももう段ボールに梱包したので、朝イチのコーヒーもペットボトルからの直飲みで味気ないです。この勝手の分からない、自宅とは思えない不自由さはまるで誰か他の人の家みたいです。今日に至ってはガスコンロを廃棄するので自炊もできなくなります。伊達’sキッチン閉店です。

とはいえ無いものにこだわっていても仕方がありません。ありのままの環境を受け入れ、柔軟に適応してゆくのが悟りへの道を行く者の姿です。

「不自由」という言葉は在りし日との対比によって存在しております。マグカップが無くてもコーヒーは飲めるし、ガスコンロが無くても食事をとる方法はいくらでもあります。無いは無いなりに楽しんでゆく。それが悟りへの道を行く者です。