恥の多い生涯を送って来ました。

生き辛い私が日々感じることを残していきたいと思います。

梅の花

先日、職場に梅の切り枝が持ち込まれました。枝の先には無数の蕾が有り、職員一同、いつ開くのだろうかと楽しみにしていたのですが、そんな猶予は梅には残っていなかったようです。水を張った花瓶に活けて数時間、あれだけ固く縮こまっていた蕾が、もう解け始めているのです。木から切り落とされたこの梅は自らの命が短いことを悟り、この世に生まれてきた使命を果たすべく、今必死に開花を急いでいるようでした。その様子を観察していると、近いうちに訳あって現職を退き、危うい立場に晒される私の情欲が高まっている原因、それが本能であることを理解できました。

宗教家や精神科医が「生きる意味は無い。生きる意味は自分で後付けしていくものである。」と迷える者に説くケースが多いですが、私たち生き物の生きる意味は確かにありました。ただし、こればかりは一人で成し遂げられる事ではありません。ですので、そのような定説があるのでしょう。

とはいえ、悲観することはありません。前に述べた通り、生きる意味は自分で後付けできるのです。ですので、私はありのままを受け入れ、いちいち翻弄されない自分を目指し、今日も悟りの道をゆくのです。