恥の多い生涯を送って来ました。

生き辛い私が日々感じることを残していきたいと思います。

安全基地ありきの沼津が好きだった。

14時までベッドに這いつくばっていたが、その後サウナに行くと、やはり多少はすっきりとして、思考の整理がついたようだ。

私は女と行く伊豆の海が楽しかったし、市街地の花火大会が楽しかった。灯籠流しも見に行ったな。それらは今年も行われるだろうが、女と一緒でなければ困る。それに、2022年から盛んに取り組んだ1人旅行も、家に帰った後、留守番をしていた女に思い出話を語るまでが楽しかったわけで、誰も家で待ってくれていなかったら孤独を感じたと思う。

つまり、私が愛した沼津での生活は女ありきで成立していた。互いに干渉し過ぎず、尚且つ孤独は味合わない程度に交流するという絶妙なバランスの安全基地ありきで成立していた。それを言語化したのは今だが、女が埼玉に帰ると宣言した昨年の夏から無意識ではそれを感じとっており、だからこそ一緒に埼玉に帰る事にしたのだと思う。そんな重要な日常の根幹はぽっと出の性的に魅力的なだけの女では代えが利かないのである。だから私はやっと軌道に乗り出した仕事も捨てて埼玉に帰る。一時の気の迷いを生じさせた遊びの女もこの地に置いて埼玉に帰る。