恥の多い生涯を送って来ました。

生き辛い私が日々感じることを残していきたいと思います。

日常の復権

毎日港町移住生活5年目。

久しぶりに素潜りしました。

海無し県から海に憧れて移住してきたこの港町での暮らしも、気づけば4年の月日が経過致しました。

移住当初は付き合いたての恋人のように四六時中海のことを想い、平日は海の近況をいちいち気遣い、休日となれば実際に会って、愛を確かめ合いました。そんな日々はまさに非日常。生きる喜びをひしひしと感じるのと同時に、多くの体力を消耗していることには「恋は盲目」状態では気づくことができません。

然し、時は残酷なもので、次第に気づいていきます。新鮮さよりも馴れ合いを求める俺がニョキニョキと芽生え、海は遠ざかっていきました。いわゆる悪名高い倦怠期と言われるものですが、諸行無常の世の中において、ふと冷静に立ち返ることは果たして悪いことなのでしょうか。

刺激よりも平穏。お互いに自分の時間も大切するようになったとしても、たまに会う機会を作り、こうしていざ遊んでみたらやはり楽しいものです。確かに、もはや強い刺激はありませんが、ストレスもありませんので、変に気取らず、ごく自然に振る舞える関係へと昇華したということでしょう。

日常生活にしたってあれだけ憧れだった港湾も地元民となれば海鮮丼を食べに行くなんてことはありません。行くにしてもこってりラーメンをすすりに行くぐらいです。名物の干物だって今じゃもう面倒くさいので滅多に焼きません。その代わりにアメリカ産豚こま肉に生姜醤油を絡めて焼いたものを喫食する、という風にすっかり海無し県時代の生活を取り戻しています。それらは私が港町に溶け込んだ瞬間であり、日常の復権を意味しておりました。