恥の多い生涯を送って来ました。

生き辛い私が日々感じることを残していきたいと思います。

苦手の克服はもうええて

休日ルーティンが崩壊したときに私は病む。崩壊するときは決まって彼女の夜勤入りと自分の休日が重なった日で、買い出し、炊事、掃除、洗濯は音が立つのでやらないことにして早々と外に出る。

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昨日はジムで足トレをした後、家で性懲りもなくパワプロをやっていると尿意をもよおしたので外出することになった。トイレすら音を立てるのは申し訳なく思い、私は家なき子だった。

家なき子は公園でトイレを済ませた後、駅前のマクドナルドで動画編集を行った。先日の沖縄旅行で潜った海の動画を編集しているとお腹が鳴ったので席を立ち、にんにく海苔巻きを食うことにした。

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美味しかったが、「またキモイ豚が来たよ」と思われていそうなので、当分行かないことにする。そういった被害妄想をする時点で今自分の自己肯定感が下がっていることに気づく。

なぜ下がっているかと言えば、毎度おなじみのコミュ障の件で、やはりどうしても職場の流暢に話す同僚と自分との比較で、私は彼らのように上手く話せない分、人の話を聞くのに長けていたりするはずなのだが、そんな話には耳を貸さない強情っぷりであった。

先日の沖縄旅行ではツアーに参加したりで、やむを得ず初対面の方とお話する機会を多かったのだが、その甲斐があり、旅の終盤は多少円滑に、というかコミュニケーションを楽しんでいる節さえあり、やはりコミュ障も場数でなんとかなるのではないかと欲が出たのある。そのため、沼津に帰ってから他人と話すことができるのは何処だ、ガールズバー?なんて考えたりしていたのだが、ガールズバーには行きたくなかったし、進んで他人と話したいとも思わなかった。そもそも旅行の時に他人と話したのは自分がやりたいことに付随して他人とのコミュニケーションが必要だったからであり、コミュニケーションをとるためにツアーに参加したのではなかった。

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キモイ豚はラーメンを共食いした後、まだまだ家なき子で、雨が降る中海へ向かった。そして線香を燃やした。

私は線香の匂いを嗅ぐと浅草寺に初詣に行ったことや、クソ熱い夏休みに墓参りに行ったことを思い出す。そして、そんな思い出の中の自分は家族の輪の中にある。

私はなぜ線香を燃やすのだろう。家族とは絶縁状態なのに、あえて思い出すような行動に出ている。本当はお近づきになりたいのであろうか。というか単に寂しかったり、心細かったり、誰かに助けてもらいたいんだよな。しかし、自分が辛い時だけひょっこり会いに行くなんて虫が良すぎるじゃないかと自問自答していた。f:id:datekanal:20230613064950j:image

夕方に帰宅した後も冴えなかった。この一日、成し遂げたことは何個もあった。筋トレ、動画編集、読書、散歩、ラーメン、自省、炊事。それなのに満足していなかった。買い出し、掃除、洗濯ができなかったことが気になった。

孤独な夜は病む。たとえ酒を飲まなくても外で外食した方が良い。他人と話さなくてもガヤガヤの中に身を置いていた方が良い。