恥の多い生涯を送って来ました。

生き辛い私が日々感じることを残していきたいと思います。

機能不全家族

昨日読んだタダイマトビラが胸に突っかかっている。

私が家庭を築き、自分の子供が欲しいと今思えず、性行為ありきの家族を求めていないという点では生物学的には機能不全家族だった。

家を出て初めて親のありがたみを知るというよくある話が私には通用せず、親孝行しようという気持ちが一切湧かないという点では機能不全家族だった。

向こうから連絡が無ければ会わないままで、自分からは会いたいと思う気持ちはなく、有事にしか連絡を取らないという点では機能不全家族だった。

それでも私は今、生きている。もう過ぎた話である。と、それでは済まないのが家族愛を求める欲求である。それを忘れるために私は何かに没頭していなくては収まらず、自らが定めた生きる意味と対峙しているのである。そしてこのブログこそがカゾクヨナニーであり、ショウニンヨナニーでもある。

女との奇妙な同棲生活も年々研ぎ澄まされてきた。機能不全同士匂いを嗅ぎつけて群れた2人だ。普段は互いに自室にこもり、たまに顔を合わせた時に談笑を交わすくらいが心地良かった。機能不全は繰り返す。これが私たちの家族の形だ。

人生は思い通りにいかないことの連続だ。産まれる家庭を子供は選べない。親ガチャというのは確かにある。しかし、どの家庭にも一長一短があり、私の家庭は愛が無い代わりに金はあった。だから私は今借金もなく、また、堅実に自立した生活を維持していこうと思える習性が身についているのだ。

だから私は生きる。私なりの生き方で生きる。生まれ育った家庭と過程が違うのだから自ずと人それぞれゴールは変わって来る。愛ある家庭で育った人間と自分を比べてしょげていても生み出されるのは虚無感や嫉妬心などのネガティブな思いだけだ。