恥の多い生涯を送って来ました。

生き辛い私が日々感じることを残していきたいと思います。

毎日、その1日だけを生き抜くことにコミットした結果

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月に7万くらい使った。その間の名古屋遠征は楽しかった。その他、ちまちました新しい刺激(コンビニの新商品、入ったことのない飲食店など)に金を惜しまなかった。そんな日々はとても楽しかったが、1か月間、毎日遊びまくりで立ち止まるという選択肢が無かった。私は今、過去を振り返る必要のない状態なのか、まぶたの痙攣はいつの間にか無くなった。出勤前の不整脈も無い。薬も前にいつ飲んだか覚えてないくらい飲んでいない。春先とは良い悪いは別にして、状態が違うのは確かなようだ。ただ、順調に過ぎていく日々に今不安を覚えている。

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このまま訳の分からぬまま、「一応ケアマネの資格持っている雑用」を続けていけば良いのだろうな。一度立ち止まるためにわざわざコロナ急拡大の中、行きつけの焼き鳥屋に来ているのだが、酔いが回ってまた気が大きくなっている。

いつでも以前の1円をケチる精神を取り戻すことは可能だ。しかし、消費と浪費は違う。私は今、消費をしている。思い出やマンネリを防ぐために。今の私は有益なお金の使い方をしている。喉がなんとなく乾いてミネラルウォーターを買ったりはしていない。

だいぶ酔っ払ってきた。今晩の振り返りにて私が導き出した答えは、川の流れに身を任せる。つまり現状維持だ。